ゆたかbot

ゆたかっぽい文章を綴ります

チャリチョコ好きや・・・

感想全集につき長文、ネタバレ?あり(ちなみに原作は見た事ない)
 
好きなキャラの法則のやつを書いたせいか、無性にチャーリーとチョコレート工場が見たくなって見た。
何度見てもやっぱり褪せる事無く、とても面白い。月日が経過してから見るほど視点が変わって、新しいものが見えてくる。
当時チャリチョコを見た時はあまり細かな事に好きの価値観というか、判断基準がなかったから分かってなかったけど、前の分析文を書いて、あれが好きだったんだろうなぁと思ってから見ると、やっぱりこれが好きなんだと噛みしめるような実感が出来た。
 
 
最初の、チャーリーの家庭の貧困の表現が、屋根に穴が空いていたり、一つのベッドにおじいちゃんおばあちゃんが4人向かい合うようにして寝ていたり、やりすぎだというくらいの貧困でなんだか面白い。
しかし一見寒々しい貧相な家でも、家族が寄り集まって、具がキャベツだけのスープを持って暖炉を囲む。不思議と温かく、寒そうと思う事は一切なかった。
 
 
チャーリーとチョコレート工場は、自分の髪の中に白髪を見つけ、将来に不安を覚えたウィリー・ウォンカが工場の跡継ぎを見つける為に世界に5枚だけのチケットを入手した、幸運な5人の子供達を工場見学に招く話。
その5人の子供達はそれぞれ、様々な問題を抱えていて、その様子から「チャリチョコは子供にこういう事したらダメだよ!って教える為の映画でしょう?」と思っている人もいたけど、自分はあれは、どちらかというと子供という面だけではなく、子供を持つ親に子供にこういう育て方をしたらだめだよ!と注意する意図を強く感じていて、子供が見ても大人が見ても、子供の頃に見た事がある大人が見ても面白い映画だと思う。
 
一人は、オーガスタス・グループという、肉屋の太った子供、チョコが大好きで、いつもチョコを食べている。
 
一人は、ベルーカ・ソルトという、大金持ちの社長の娘で、甘やかされて育ったために非常にわがままな性格になっている。
 
一人は、バイオレット・ボーレガードという、沢山のトロフィーを獲得した野心家で高慢な女の子。(とてもかわいい)(何が悪いねん)
 
一人は、マイク・ティービーという、テレビゲームばかりやっている、計算でチケットを手に入れた賢い子供。
 
一人は、主人公のチャーリーという、貧困の中に生まれた大人びた子供。
 
最後に工場の主である、ウィリー・ウォンカ。天才で、チョコレートに対する情熱はものすごいが子供っぽい所があり、子供と張り合って口論したりする大人。
見て、やっぱりウィリー・ウォンカが原初の好きのように感じた。大人と話すにはぎこちなく、子供と話すには大人げない。
 
 
自分は子供の頃は登場人物の子供達を不快に思い、ウィリー・ウォンカに共感し、完璧にチャーリー目線で見ていたのだが、先日これを一緒に見た人は全く視点が違っていて、子供に共感し、ウィリー・ウォンカが何考えているか全くわからない子供だったという。
 
草木が生い茂り、不思議な果実が実り、チョコの川が流れる空間、「ここにあるものは全部食べれる。食べてもいいよ。」と言われたオーガスタスがあたりのものを全て掴んで汚く食い散らかす様を見て、自分が子供の頃には、そんな食べれるとは言えどこの誰が歩いたかも分からない地面の草を食べ、手や顔をべちゃべちゃに汚し、まだ口の中のものも飲み込まないうちに次のお菓子を食べ、さっきの説明を聞く限り売り物に出されるであろうチョコの皮に手を突っ込みそのまま飲み、そして手を滑らせてチョコの川に落ちる。
 
今となって見ればウィリー・ウォンカの説明不足というか、大人の監督不行届きだとは思うが、当時はこれに関して、自分は絶対そんなことをしないなと強く思った。
かつて、特に不快だったのが、マイクが食べもしない大きなかぼちゃのようなお菓子を蹴り壊してぐちゃぐちゃにする遊び。
今となっては子供だからまあ無理もない。という気持ちだが、当時はなんでそんなことをする??と理解不能で、酷く不快だった。
 
そんな様子でやらかしてしまった子供達が退場していく。
 
 
バイオレットちゃんが好きだった。
当時は見た目がとても可愛くて好きなんだと思っていたが、今見ると普通に中身もめちゃめちゃ好きだ。
もちろん当時は高慢で人を見下した態度は悪いと思っていたが、野心家で、自信がたっぷりで、いくつものトロフィーを獲得して実力を持つ彼女。
賢くて、5人の内の選ばれた1人子供が特別な賞をもらえると聞いてそれを獲得する為に、初対面のウィリー・ウォンカに抱き着いて愛想よく振る舞う姿。賞を得る為に、5人の内のもう一人の女の子であるベルーカちゃんと「友達になりましょう」「親友にね」と気持ちはともかく、結託する様子を見せる姿。感情が強そうでとても魅力的だ。
 
正直今見て、彼女の何が悪い?という気持ちになる。向上心がある事はいい事だ。唯一悪いとするなら、食べない方がいいと言われたものを食べた事だろうか?しかしあれは周りが、というか責任者であるウィリー・ウォンカが事前に説明し、強く制止せず、子供に食べちゃいけないものを渡した事が悪いと思う。まあウィリー・ウォンカは大人ではないし、子供をやらかさせて退場させて選別する事が目的だったため、仕方ない出来事だが・・・
危険を恐れないのは早死にする恐れがあるので、動物的には×だけど、目標ある人間としては花丸だと思う
 
唯一悪いとするなら、子供がブルーベリーのように膨らんで運ばれて行って、「助けて!!」と悲痛な叫びをあげているのに、「子供がブルーベリーじゃ困るわ!どうやって競争するのよ!」と子供の心配をしない親だろう。当時、ジュース室に連れていかれ、絞られる痛みを考えてとても同情した。(それ以外にも、チョコに溺れたり、ダストシュートに落下したり、キャンディ引き延ばし器に掛けられたりすると聞いてちょいちょい、いや死ぬ死ぬ死ぬと危機感を覚える)
 
 
なりたくないのはベルーカ・ソルトちゃんだった。
わがままで、願いを叶えてもらってもそれを当然のように受け止め、次に次にと更なる要求を重ねる。
しかし、他の子供達を見ても不快だとは思えど、なりたくないと思ったのはベルーカちゃんだけで、なりたくないと思うのはなる可能性があるからで、他の子供たちに対してなりたくないとは思わなかったのは、「自分から要素が遠く、なる可能性が限りなく無かったからだろう」と、少なからずなってしまっているなと感じる今はそう思った。
 
今見れば、正直ベルーカちゃんが一番可哀想に思える。あれが欲しいと言えば叶えられ、甘やかされ、一度も注意された事がないのに関わらず、娘のわがままのせいで親が一度痛い目にあったが故に「お前に今日与えられるのは風呂だけだ!」と強く突き放される。それに対して「欲しいっていってるでしょ!」と怒ってしまうのも無理はないし、わがまま=よくないという価値観を生まれてこの方教える事の無かった保護者の責任だと思う。
今まで通用してきたものが、ある日突然、訳も分からず通用しなくなる。その不満と悲しみは大きい。賢い子供に感じるので、上手く適用して幸せに生きて欲しいものだ・・・
 
 
マイク・ティービーくんに関しては、当時は単純に暴力的かつ生意気な態度に不快感を覚えていた。
(デカすぎるチョコを分解して電波に乗せ、通常サイズのチョコになって遠くまで送られる様を見ても普通に考えて絶対やりたいとは思わないだろ・・・何分の一になってるんだよ・・・)と思っていた。
しかし今彼を見るととても複雑な気持ちになる。
ケーブルガイという映画の影響なのだが、その映画ではこの子と同じようなテーマが主題になっていて、「テレビやゲームを近づけて育てたら頭のおかしい、ぼんやりとした薄っぺらな大人になっちゃうよ」というメッセージというか、風刺の映画だった。
正直ケーブルガイを見て、共感して泣いちゃったし、こういった風刺の為に過剰に悪く書かれる存在に強い怒りを覚える。特にこのような賢い子供は。
これはほとんどケーブルガイへの感想なのであまり関係ないが、恐らくこの当時はそういう風刺が多かったんだろうなぁと思う。
 
 
 
ここまでは好きじゃないの部分を書いたのでちょっとテンションが下がったけど、ここからはウィリー・ウォンカの話。
 
好きな要素① 天才
チョコで原寸サイズの宮殿を建築したり、永久に溶けないキャンディを作ったり、冷凍庫に入れなくても何時間も冷たいアイスを発明し、一つでディナーフルコースの味を順番に楽しめるガムを発明したり、天才的な発明はとどまる事を知らない。普通にすげぇ。
量子転送装置作って、デカいチョコを電波に乗せてテレビに映して、手を伸ばしたら取って食べれるような、損得勘定なく夢売ってるの凄すぎる
 
好きな要素② 自信家
圧倒的実力と才能からくる自信は健康でいい・・・しかも健康にもいい。最高や。
登場時のショーの歌詞の、「謙虚で賢くてとてもキレ者、素敵な才能を閉じ込めてはおけない」っていう、世に出してる時点で謙虚の部分を爆速で破壊する歌好きだ
バイオレットちゃんが名前を名乗って、「名前なんかどうでもいい」「ダメ覚えて!私が賞品を勝ち取るんだから!」と言うのに対し、「自信家だね。まあ自信は成功のカギだ」と言うのに、わかる~~~~となる
 
好きな要素③ 子供っぽさ
自分が登場する用のショーなのに、主役の自分が登場する椅子じゃなくて、観客席からショーを見たり、生意気言う子供に論破されて「君たちって小さいよね」「当たり前じゃない、子供だもの」「僕は子供の時もそんなチビじゃなかった、なぜか?帽子を被るのを絶対に忘れなかったから。でもそんな短い腕じゃ手が届かないね、フン!」と大人げなく言い合う姿。名刺を渡されて受け取ったものを、少しも目をくれる事なく後ろに投げ捨てたり。
大人に話しかけられて戸惑ったり、真面目な質問にズレた回答をして微妙な空気になったり、親についてコンプレックス(?)ありすぎて両親って言葉が言えなかったり。
子供に抱き着かれてヒッとなったり、割と話しかけられる度にハイ!?とか、何!?とか過剰反応したり、大人も子供も割と苦手で、そもそも人間と話し慣れてなさそうな感じ
割に自分の発明とチョコの話をする時はとても楽しそうなの、とてもすき
量子転送装置で、「人間も飛ばせる?」と聞かれたとき、「人間なんて飛ばしたくないよ、おいしくないもん。」と、子供らしい純粋な好きという情熱と、夢とロマンで仕事してるのとても良い。
 
日本語吹き替え版を見ているけど、声優藤原啓治さんなのに先日初めて気が付いた。
金ローは宮野真守さんで、何かキレイな、若い好青年感が強くなってて嫌で、やっぱりあのなんだか拗ねた子供みたいな喋り方が好きだと思った。
 
 
ウィリー・ウォンカは歯医者の子供に生まれて、子供の頃からお菓子を食べる事を許されなかった。ハロウィンでもらってきたお菓子を、全て暖炉に捨てられる子供。
暖炉の燃えカスの中に燃えなかったチョコレートがあって、それを好奇心で食べてみて、チョコレートにハマる。子供に対する制限からの解放からの揺り返しはガチだと思う。
チョコレート職人を志す10歳程のウィリー・ウォンカに、強く反対する父親。「だったら出ていくよ。」「好きにしろ、しかし戻った時私はもうここにはおらんぞ。」
それで、いろんな所を見て、1日程のプチ家出をして帰って来たウィリー・ウォンカに、有限実行で文字通り、縦長のビル列の真ん中からぽっかりと歯医者の家ごと消えていなくなる父親。(やりすぎで、そうはならんやろとちょっと笑っちゃった)
そこからどうやって生きて来たかちょっと分からないけど、普通にめちゃめちゃ可哀想だし、正直納得がいく。
自分の不幸話みたいなのゲロ吐く程嫌なのでしたくないけど、自分の好みにめちゃめちゃ影響してるなと感じるし、実際には自分は恵まれていると思うので練習に軽く書く。
自分は小さいころから両親がいないので、思想知識考えについては、小さな頃から「正しい人間になりたい」という目標を持った自分自身で育てて来たと思っている。
なので、両親いない、もしくは問題がある人間、そしてその環境で育ってきた人間に共感もしくは好感を覚えるのかなと薄々思っていた事が、最近ちょっと認めざるを得なくなってきた。同時に、子供を真に思う親みたいなものが特攻弱点属性なんだと思う。この間サイトで流れて来た家族対抗殺伐とかいうやつの広告で泣いてしまった。
また、『子供をどのような育て方をしたらどのように育つか』に小さいころからずっと大きな興味を持っていて、多分この映画のせいだろうなと先日思った。
 
 
好きなキャラ法則の時に書いた、奔放に振る舞う人間は一人で生きていける程強いからこそ媚びる事群れる事無く奔放に振る舞う。実際に親がいなくなってからも一人で生きて、夢を実現させ大成功したウィリー・ウォンカが、それの象徴で、だからこそ好きなのだろうと思う。
辛い現実にあっても、好きなチョコレートに情熱を注いで一人で強く生きて来たウィリー・ウォンカが、しかし反面家族に対しコンプレックスを持ち、様々な家庭を間近で見てフラッシュバックする。家族が一番大事というチャーリーに、複雑な思いを抱き、既に大人になって、両親の行き先も分かっていて、会いに行くだけの力もありつつ一人では絶対行きたくないという弱さ。
最後に父親の歯医者を訪れて再会し、あんな別れ方をしたことに双方気まずさバツの悪さと、ぎこちなさのまま抱擁を交わす。向き合って、和解する父親の家には、ウィリー・ウォンカのチョコレート工場についての新聞記事が沢山張り付けられていた。
 
その後、チャーリー達の家族と、工場の中の家で温かい食事を囲む。全てを持っているウィリー・ウォンカが唯一持っていなかった、温かい愛のある家庭が手に入った。
「あなたピーナッツの匂い香りがする、ピーナッツ大好き!」「ありがとう、あなたは・・・お年寄りと、石鹸の匂い。・・・いい匂いだ。」「まあ!」と温かい抱擁に受け入れられるシーンを見て、既に何度見たかもわからないシーンにも拘らず改めて泣いてしまった。
 
何度見ても新しい発見があって、やっぱり自分はチャーリーとチョコレート工場が好きなんだなぁと深く実感した。